高雄の山奥に眠る日本神社
今回は高雄市那瑪夏区にある日本統治時代に建設された神社に尋ねた際のことを書いていきます。
那瑪夏区とは
高雄市那瑪夏区は 高雄市北東部に位置し、東は 桃源区 、西は 台南市南化区 、北は 嘉義県大埔郷 と 阿里山郷 、南は 甲仙区 とそれぞれ接しており、玉山山脈の上に位置しています。そのため地区全体で海抜500mを超えます。また高屏溪の源流である楠梓仙溪、荖濃溪が地区内を流れています。高雄市の3原住民郷の1つであり、ブヌン族(布農族),カナカナブ族(卡那卡那富族)、ラアロワ族(拉阿魯哇)、パイワン族(排灣族)が居住しています。
那瑪夏にある日本神社跡とは
那瑪夏区達卡努瓦里(タカヌワ)に位置する日本神社は、日本統治時代は達卡努瓦神社と呼ばれていました。当時達卡努瓦里神社は、地区内を見下ろせる小高い丘に位置しており、南西に向かって立っていました。これは、人々が神社に来た際に、天皇がいる日本へ向かって祈っている形にさせるようにするためだと言われています。日本敗戦後、日本人の手によって神社は壊され、現在は、石垣、石段、基礎部分などが残るのみとなっています。
いざ日本神社へ
台鉄高雄駅前の高雄客運から「E28高旗美濃快線」に乗車します(本当は乗り換えのない「E32」になりたかった、、、)ここから旗山轉転站までの乗車。
旗山に到着。約1時間。ここで「E32」に乗り換え。一路甲仙を目指します。
甲仙に到着。約1時間。ここで那瑪夏行きのバスまで時間があったので、休憩することに。
甲仙は、芋頭(タロイモ)が名物。町のいたるところに芋頭をつかった食べ物が売らていた。私は、芋頭牛奶(タロイモ牛乳)を購入。中は牛乳と芋頭のみ。ガツンとくるあまさと、ねっとり感がバスに2時間揺られてつかれた体にしみます。
時間になり、那瑪夏行きのバスに乗車。日本でいう大型タクシーぐらいのバスです。
途中小林村を通過。ここは、2009年の八八台風の際に、大規模な土砂崩れがおこり、多くの犠牲者がでたところです。その災害の影響か道はいたるところで工事をしていました。
途中、バスが運転手さん、私、もう1人のかたになった際に、運転手さんが話しかけてくれました。
運転手 「你去哪裡」 (どこまで行くの?)
私 「我要去那瑪夏」 (那瑪夏まで行く)
運転手 「你是哪裡人」 (どこの人?)
私 「我是日本人」 (日本人)
運転手 「你要看日本神社嗎」 (日本神社を見に来たのか?)
私 「對」 (そう!)
運転手 「那我停神社前面」 (それならバスを神社の前に停めるよ)
とバス停ではない、神社前でおろしてもらえることに。この緩さが台湾らしい。(笑)
それから、運転手さんともう一人のおじいちゃんと日本語と中国語で話すことに。那瑪夏についていろいろおしえてもらいました。
降りる際に、運転手さんから、「30分後に甲仙行きのバスがでるから」と教えていただく(この辺は休日は1日3往復ほどしかなく、乗り遅れたら次の便までそうとう待たなければなりません。)
神社の近くでおりたものはいいものの、看板をみると約1.2㎞。目の前には坂道。時間は30分と、急がないとバスにおくれてしまいます。
10分ほど歩くと、広場に到着。しかしここが神社跡ではありません
鳥居がのこされていました。
鳥居の裏から本殿まで伸びる参道は、那瑪夏の方々が大切に整備されていました。
さらに上ると、神社跡に到着しました。
タイムリミットまであと10分。急いでくだって、何とかバスに間に合いました。
甲仙までの車中は、また運転手の方と話しながら楽しい帰路となりました。
那瑪夏へのアクセス
台鉄高雄駅から
乘車資訊 | 高雄汽車客運股份有限公司(時刻表)
①高雄駅前の高雄客運で「E32」に乗車し、終点「甲仙」まで。約2時間10分、231元。
「JOY21」、「JOY22」に乗り換えて、終点「那瑪夏」まで。約1時間15分。
*高雄客運の「E28」「E25」に乗って、旗山、美濃のバスターミナルで「E32」で乗り換えて甲仙に行くことも可能。
今回の訪問を通して、日本の台湾統治時代について改めて考えさせられました。そして、日本統治時代があったこと、ここに神社があってこんな山奥の地域まで日本統治の影響があったことは忘れてはいけないと感じました。
このブログをお読みいただき高雄市那瑪夏区にある日本神社に対し1人でも多くの方が興味を持っていただければ幸いです。